1-2 高町の浜松まつりの歴史 昭和初期(戦争開始まで)

③ 昭和初期(戦争開始まで)

≪御殿屋台の登場≫

この時代になると従来のその抜け屋台から立派な御殿屋台が登場してきた。昭和4年に野口町と八幡町に本格的な彫り物入の屋台が製作され、その後各町においても豪華な屋台が30台近く製作された。

・初代屋台
昭和7年に作られたようであるが定かではない

左の建物は、今のセブンイレブンのあたりにあった
銀行である。

・紀元 2600 年の記念屋台

この写真は、紀元 2600 年(昭和15年)を祝って
1 年限りの飾りつけの屋台である。写真の左に「会所」
があるが当時決まった会所、凧置場がなく今のセブン
イレブン(銀行跡)の倉庫を入りていたようだ。凧置場は
借りられる所を探していたので毎年変わっていた。
この屋台は、現在の普済寺の丸久商店(当時)の裏におい
てあったが昭和 20 年 6 月 18 日の空襲で凧・糸枠・屋台の
全てが焼けてしまった。

『紀元2600年記念行事とは1940 年に神武天皇即位 2600 年
を祝った一連の行事をさす』

・屋台の横幕
初代の屋台に飾ってあった横幕である、この横幕だけ空襲
の難を逃れ現在の屋台にも永く使用していたが今は公民館
に保存してある。この幕は、別のところに保管してあった
ので無事であった。昔の高町にあった染み抜き屋(呉服
屋)に預けていて、そのまま三方原の方に疎開していて焼
け残ったという説、四つ角の銀行の倉庫に保管してあった
という説がある。

                 

昭和 9 年 5 月 高町青年団とかいてある
西陣織の立派なもの

須山さんの肉声を入れる