2-1 高町の浜松まつりの歴史 戦後初めてのまつり

①戦後から昭和20年代

地方中核都市としては最も激しい空襲を受けて御殿屋台もほとんど焼失した浜松 において、「凧揚まつり」は1947年(昭和22年)にようやく復活した。凧揚げの会場は、浜松高等工業専門学校(静岡大学工学部の前身)の西グランド(西寮グランド)である。参加町は15町であり高町は糸枠等を焼失してしまったため屋台引き回し(急造神輿)のみの参加であった。写真はその時のもので法被はバラバラである、須山さんの法被は疎開で難を逃れていたので無事であった。写真の背景は、誠心高校(今の開誠館高校)のバラック校舎、須山さん16歳。

昭和23年底抜け屋台の製作

この底抜け屋台のが出来上がる前には、馬車を屋台代わりにしたり樽神輿をつくって町内を練歩いたようだ。

戦後初の初子は杉浦國裕さん当時3歳

須山さんの肉声を入れる