1-2 高町の浜松まつりの歴史 大正時代~

②大正時代~

≪まつりの組織的な運営が始まる≫

大正5年統監部ができ、その後浜松市凧揚げ連合本部も設置され全市の参加を統括するすることでまつりの運営が組織化されていく。

また、底抜け屋台が各町で作られるようになって昼は凧揚げ、夜は屋台引き回し及び初練という現在の形態ができあがった。

(出典)浜松市史 566頁

・大正9年の写真

法被が現在と異なっており、いつ現在のものになったかは
不明

≪参考≫ 大正12年まつり参加町
新・板屋・八幡地、寺島、鍛冶、紺屋、池、大垂、大工、
元魚、砂山、栄、三組、高、元名残、伝馬、旅籠、平田、
塩、成子、海老塚、東伊場、菅原、両追分
鴨江青年、北馬込、上池川、田町東組、中沢、元目、山下
田、寺島蝶組
(諸説あり)